インサイド:頂上と裾野を見つめて 全国高校駅伝を前に  駅伝情報

毎日新聞 2012年12月18日・19日・20日・21日・22日 東京朝刊

◆ プロローグ

◇ 今春、仙台育英から豊川高(愛知)に、男女10人の選手が一斉に転校した。背景には突然の監督の退任、震災の余波もあったとされるが、全国屈指の強豪間の転校劇に、誰もが驚いた。京都市で12月23日に行われる全国高校駅伝を前に各地を訪ねて、高校駅伝のあるべき姿を考えた。【田原和宏、細谷拓海】


◇ 「勝利至上」に苦しむ

 京都府の男子は洛南高など私立校の厚い壁を破り、府立桂高が初めて都大路の代表切符を奪取した。京都で公立校が代表になるのは1962(昭和37)年の西京高定時制以来。50年ぶりの快挙の背景には、1人の転校生の存在があった。

 ■ 仙台育英から転校

 東海真之介(3年)。沢井宏次監督(52)が「勝つことへのこだわりを教えてくれた」と評するエースは昨年の東日本大震災直後、仙台育英高(宮城)から生まれ故郷に戻った。選んだのは兄が選手だった桂。OBの夢を実現させ、東海は「育英では三下(さんした、取るに足らない者の意味)の選手だったが、ようやく胸を張れる」と笑顔を見せる。

 転校のきっかけは震災だが、仙台育英では強豪校ゆえの苦しみを味わった。父の健児さん(44)は当時の息子の姿を「心身ともに疲れ果てていた」と振り返る。震災翌日、東海は合宿先の千葉から一時帰宅したが、「すぐに仙台に戻る」と言い出し、譲らない。健児さんが問いただすと、涙ながらに重い口を開いた。「陸上が楽しくない。なぜこんな思いをして走らなければいけないのか……」

 中学1年の頃から仙台育英の名を真っ先に志望校に挙げるほど、あこがれは強かった。理由はケニア人留学生。一緒に練習して自分を磨きたかった。だが、男女計9回の全国制覇を誇る名門の雰囲気は東海の想像を超えていた。合宿参加も遠征も記録会出場もチーム内の競争を勝ち抜かなければいけない。「誰もが学校を背負いながら走る。負けると学校の名を汚す。そういう思いが強く、練習でも遅れられなかった」と振り返る。心の隅には、学費免除の特待生だったこともあった。

 今春から同校で女子長距離監督を務める釜石慶太監督(25)。2004、05年と2年連続で区間賞に輝くなど同校の3連覇を支えたが、現在は「勝利至上主義」からの脱却を掲げる。「監督の言うままに必死にやって結果を出すのは楽しかったが、今は選手との話し合いを大切にしている」

 東海は転校後、貧血にも苦しめられた。一時は朝練のジョグでさえ、息が切れた。毎日ひじきを欠かさず食べるなど食事には気を配るが、不足する体内の鉄分を補うための錠剤は今も欠かせない。

 ■ 頑張れば強くなれる

 再び奮い立たせたのは「逃げたままでは終わりたくない」という思いだ。公立校でも頑張れば強くなれると証明したい。桂では練習でも普段の生活でも、仲間に厳しい言葉で自覚を促した。東海に注意を受けなかった選手はいないほどだ。同学年の蘆田(あしだ)恵伍は「反発もあったが結局、真之介が正しかった」と振り返る。
 東海は1500メートルで全国高校総体に出場したが、入賞はできなかった。「全国で入賞して、初めて(正しかったと)言えるかな」と語り、都大路では8位以内を目標に掲げる。

 勝つことへのこだわりが限界に追い込むこともあれば、チームを強くすることもある。健児さんの思いは複雑だ。「強豪校で1年間耐えたことが、今年の結果につながったということでしょうか」

     =つづく

◇ 代表巡り勝負過熱

■ 「強ければいいのか」

 豊川工の渡辺正昭監督(50)は今春、学校から2キロほどの距離にある2階建てアパートに移り住んだ。借りたのは1部屋ではなく1棟全体。週末に部員34人の合宿場所として使うためだ。約150万円の改修費はすべて自己負担。毎月の家賃20万円は選手からの寮費と利用料で「何とか帳尻を合わせている」。

 借り上げを決めたのは昨秋で豊川とは無関係というが、並々ならぬ決意を感じさせる。「なぜそこまでと思われるかもしれないが、これまでの取り組みが正しいと証明したかった」。あいさつや清掃など規律ある生活と基本重視の練習で、無名だった同校を全国有数の強豪に育てあげてきた。全国にも、渡辺監督の考えに共感する指導者は多い。

 「高校スポーツはあくまで部活動」が持論の渡辺監督だが、勝つことの影響力も感じている。同校の陸上部員は大会前に競技場周辺のゴミ拾いをする。当初は見向きもされなかったが、優勝して周囲の見る目が変わった。「強い学校はきちんと清掃もする」と後に続く指導者も出てきた。だからこそ、今年の豊川には複雑な思いをのぞかせる。「ただ強ければいいのか。価値観が違う」

 ■ 勝ったのは豊川

 一方、昨年の都大路経験者3人を含む7人が加わった豊川。今春から男子監督を兼ねる森安彦監督(51)は女子で3回の全国制覇の実績を持つ。転入の経緯については「終わったことなので」と一切の説明を拒むが、「強い選手が来たとしても、ほかの指導者に同じことができたかどうか」と自負する。

 確かに元仙台育英の選手の表情は明るい。昨年の都大路の7区で区間賞に輝いた一色恭志(3年)は「練習中に笑うことが増えた。競技を楽しめている」と振り返る。当初は休養日がないことに驚いたが、夏場の高地トレーニングなど論理的な練習は仙台育英時代よりも時間が短く、体のケアに充てる時間が増えた。また、連覇を狙う女子選手の姿にも刺激を受けた。

 エースの服部弾馬(3年)は「僕の選択は間違っていなかった」と胸を張る。「転校後6カ月未満の出場は認めない」という高体連規定で今夏の高校総体出場の機会を失うことも覚悟の上。森監督は「彼らは駅伝にすべてを懸けた。だから強い」と語る。

 県予選は、転入生が7区間中4区間で出場した豊川が県最高記録の2時間4分17秒で制して初出場を果たし、敗れた豊川工も従来の大会記録を上回った。だが、両校の指導者が互いの健闘をたたえ合うことはなかった。過熱した勝負の帰結だった。【田原和宏】=つづく


 ◇ 将来重視か、達成感か

 2005年の興譲館高(岡山)の全国初制覇から7年。当時の主力2人が今夏、ロンドン五輪の舞台を駆け抜けた。1万メートルで入賞にあと一歩と迫った新谷仁美(ユニバーサルエンターテインメント)と、マラソン代表の重友梨佐(天満屋)。森政芳寿監督(55)は「やっと五輪選手を育てることができた。高校時代がピークで、卒業後は伸びていないと言われることもあったから」と振り返った。

 陸上競技の中で国内屈指の人気を誇る駅伝だが、あくまで日本固有の種目だ。新谷は国際大会に登場してからも、1区で3年連続区間賞という都大路の実績で語られることに反発を覚えた時期もあったという。森政監督が教え子の五輪出場を「指導者として最高の喜び」と表現するのも、高校時代はあくまで「通過点」との思いがあるからだ。

 興譲館では入学後、1年生は800メートルや1500メートルの中距離に集中的に取り組み、学年が上がるごとに距離を伸ばしていく。高校駅伝の女子の区間は3〜6キロ。「個人で戦うトラックと違い、駅伝には安心感がある。興譲館で走る楽しさを知ったからこそ今がある」という新谷にとって、駅伝は競技の出発点にふさわしい舞台であると同時に、将来を視野に入れてトラックで磨いたスピードを発揮できる場でもあった。森政監督は「世界と戦うためにはスピードが必要。距離を踏むのは大学、実業団に任せればいい」と語る。

 駅伝は五輪など国際舞台で通用する選手育成のための「手段」か、それとも勝負を懸ける以上は「目的」なのか。毎日新聞が今年の出場校の監督に実施したアンケートでは意見が大きく分かれた。

 ■ 「心鍛えてもらった」

 「手段派」は、将来を見据えた競技力向上や人間形成の効果に触れたものが多かった。八王子高(東京)の井上洋監督(63)は「これだけ人気があると目的としたくなるが、やはり冬季練習の一環」と位置付ける。

 16日の全日本実業団対抗女子駅伝。1区で積極的に仕掛け、鮮烈な印象を残した18歳の高卒新人、翁田(おうた)あかり(天満屋)も、西脇工高(兵庫)時代は全国高校総体出場経験はないが、「高校では心を鍛えてもらった」と振り返る。2004年アテネ五輪出場の坂本直子ら全国とは無縁だった選手たちを開花させてきた天満屋の武冨豊監督(58)は腰高で軽快な翁田の走りに魅力を感じたという。伸びる余地も大きかった。中学時代はソフトボール部で、競技歴はわずか3年。実業団で本格的に筋力強化に取り組み、体脂肪率が10%以上も下がった。

 ■ 都大路目指して入学

一方で「目的派」は選手の達成感を重視する。茨城キリスト高の山本友子監督(46)は「生徒は『都大路を走りたい』と入学してくる。その目標を達成させてやることが指導者の務め」とする。

 アンケートでは、勝つことに固執するあまりの過度な練習や極端な体重管理など「勝利至上主義」を懸念する声もあった。どのような駅伝を経験するかで、選手たちの将来は大きく変わることになりそうだ。【細谷拓海、田原和宏】=つづく


◇ 「ダイヤの原石」発掘

 JR下関駅から山陰線で海岸沿いに北へ1時間半。ロンドン五輪男子マラソンで6位入賞を果たした中本健太郎(安川電機)の西市高(山口県下関市)時代の恩師が現在勤める豊北高(同市)は、まるで禅寺のように掃き清められていた。陸上部を指導する富家章治監督(45)は「清掃は指導の原点。他の部とも協力してやっています」と説明する。

 部員はわずか10人。県予選では20年連続出場を決めた西京高(山口市)の壁こそ破れなかったものの、2位と健闘した。「目先の勝負にこだわらない」という指導方針が実った格好だった。

 少子高齢化の進む地域ゆえに、選手集めは今も昔も大きな課題。富家監督は時間があれば選手集めのために野球やサッカー、バスケの試合観戦に訪れる。「ダイヤの原石」を探すためだ。近年は地元選手の確保が難しく、部員の大半が市中心部や隣の長門市から1時間以上かけて通う。

 中本も中学時代は野球部だったが、外野の守備範囲の広さと柔らかな膝の動きが目に留まり、声を掛けた。走る姿も無駄な上下動が少なかった。誘い文句は「西京を倒して都大路に行こう」だった。

 ■ 3年計画で指導

 とはいえ、中学時代に実績のある選手が集まることはなく、中本のような他競技出身の選手もいる。そこで指導の基本は西市高時代から「3年計画」。朝練習に走ることはせず、腹筋などの補強運動と、正しい技術を体得するための動き作りを徹底する。故障すると分かっていて、無理はさせられない。勝負はあくまで3年目。「目先の勝負にこだわらない」と語るゆえんだ。

 言い訳ではない。無名選手の受け皿として高校駅伝の底上げをしている自負がある。大化けする可能性を秘めた教え子のためにも「いつも田畑を耕し、良い種と出会えたら大きく育てられる環境を整えている」と語る。中本のほか、名門実業団で若きエースに成長した石川卓哉(中国電力)もそんな一人だ。

 全国高体連の陸上競技登録者数が582人と全国最少の徳島県にも、希望の光がある。11月の関西実業団対抗駅伝では、岡田竜治(四国電力)と西山容平(大塚製薬)の2人が区間賞を獲得。いずれも徳島東工高(現徳島科学技術高)出身で、中学まではサッカー部所属だった。

 2人に競技転向を勧めた梅本浩志監督(42)も同じような道をたどった。中学では野球部だったが、同校を全国高校駅伝で2回入賞に導いた元監督、佐野健次さん(故人)に誘われ、自らも都大路に出場できた。「同じ経験をさせてあげたい」との思いが指導の原点にある。
毎年1月、地元では3日間にわたり中学生から実業団までの選手が県内を一周する郡市対抗の徳島駅伝に沸く。梅本監督らも、この舞台で競技の魅力に目覚めた。今は運営側の一人として大会を支える。「徳島の駅伝があるのはこの大会のおかげ」。裾野を広げる地道な試みが、各地で綿々と続けられている。【田原和宏、細谷拓海】=つづく

◇ 「仲間の大切さ知った」

 今年9月、一通の投書が毎日新聞の紙面に掲載された。差出人は岩手・花巻東高陸上部の山田愛(3年)。ライバルであり、大切な仲間である7人の同級生に感謝の言葉を記すとともに、「12月の高校駅伝で引退するまで(中略)走り続けたい」と結んでいた。だが、山田はメンバーに選ばれず、チームも6年連続出場を果たした盛岡女子に敗れて2位と都大路出場を果たせなかった。いま何を思うのか。花巻東を訪ねた。

 「このメンバーなら都大路に行けると思っていた。でも、私が(駅伝で)得たものは仲間の大切さ。そちらの方が大きかった」と全力で駆け抜けた3年間を振り返った。

 花巻東の女子は都大路に89年の第1回大会から7年連続出場。これまで計12回の出場を誇る県内屈指の強豪校だ。だが、近年は2006年を最後に全国の舞台からは遠ざかる。

 初出場当時から指導を続ける似内(にたない)利正・総監督(64)は「熱意は変わらないのだが……」と首をかしげる。2008年春の退職に伴い総監督に就いたことが、競技指導の第一線から退くと周囲に誤解を生んだことも響いたともいう。

 昨年までの2年間は最上級生の数はわずか1人。このため、1年時から主力を担う今年の3年生8人に対する期待は高かった。

 山田と主将の鎌田麻未、県予選で4区を務めた小原彩花は同学年で、同じ花巻市内の湯本中出身。中学時代から駅伝の仲間だった。中学2年の時は全国中学校駅伝の県予選で2位と惜しくも全国の舞台を逃し、中学3年でも全国切符を逃した。その悔しさが忘れられず、3人そろって地元の花巻東に進んだ。

 山田ら3年生8人中7人は学費が優遇される特待生。だが、6人は花巻市出身で、残る2人も遠野市など隣の市から通う。全員が中学、もしくは小学校からの顔見知りだ。

 なぜ県外から優秀な選手を集めないのか。似内総監督は「私が古い人間なのかな。未熟でも地元の選手で戦い、一人でも多くの人から応援してもらう方がいい」と話す。学校側からケニア人留学生の採用を勧められたこともあったが、同様の理由で断ったという。

 大リーグ志望から一転、プロ野球の日本ハム入りを表明した大谷翔平(3年)が注目を集めた野球部も方針は変わらない。他県からの入部希望者は断らないものの、地元の選手が大半を占める。

 ■ サポート役に徹し

 山田にとって高校駅伝とは何だったのか。県予選が迫る中、故障がちの山田はサポート役に徹する道を選んだ。当日の朝は選手それぞれに励ましのメールを送り、1区を走るエースの介添え役を務めた。1区だったのは競技場で仲間の帰りを待てるようにとの似内総監督の配慮だった。
山田は県予選前日の出来事が最も印象に残るという。部員全員が本番に使うたすきを1人ずつ順番に掛け合った。「走ることはできないが、私もたすきをつなげた」と素直に喜べる自分がいた。
 これもまた高校駅伝。勝つことで得るものもあれば、見失いがちなものもある。【田原和宏】=おわり


以上、2012年12月22日(土) 20時20分 Jazzy-K Works
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