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2012/1/29

冷たい風  ソフトボール高校

今週になって、朝と夜の気温がマイナスに
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大田原女子高校で黒田原中と練習試合
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ソフトボール協会大田原支部の審判員も各学校の練習試合へ協力
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太陽が雲に隠れるとさぶーい!!
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@.ツーアウト、走者一塁。投球の手から球が離れなかった。
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6−3項5.打者に対して下手投げで、手と手首が体側線を通過しながら球を離さなければならない
 (注) 手は腰の下にあって、手首は肘よりも身体から遠く離れないようにしなければならない。
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〈効果〉 1〜10
 (1) ディレードデッドボール。
 (2) 不正投球。

7−5項ボール
 3.不正投球が宣告されたとき
〈効果〉 3
 (1) ボールデッド。
 (2) 走者に1個の安全進塁権が与えられる。
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打者に対し、ワンボールが追加、一塁走者は二塁へ
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A.ツーアウト、走者二塁。ショートゴロで遊撃手が三塁にトスしたが、二塁走者は三塁ベース手前で遊撃手とぶつかりそうになりスピードを落とした。走者は三塁に滑り込んだが走者の足がキャンバスにつく前に三塁手に触球(タッチ)された
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8−4項2.野手が走者の走塁を妨害したとき。
 次の場合は走塁妨害を適用する。
   (1) 野手が球を持っていないとき
   (2) 野手が打球の処理をしようとしていないとき。
   (3) 野手が空タッチをしたとき。
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〈効果〉 2
 走塁妨害が発生したとき(ランダウンプレイを含む)は、
 (1)ディレードデッドボール。
 (2)走塁を妨害された走者および他の走者は、審判員の判断に走塁妨害がなければ達していたと思われる塁までの安全進塁権が与えられる
(注1) 走塁妨害は野手が走者に触れなくても走者の走塁に影響を与えたかどうかを審判員が判断する
(注2) 走者が塁に達しようとしているとき、野手は塁の前縁の一部を空けなければならない。
 野手がこれに違反したため、走者が塁に触れることができなかったときは、走塁妨害が適用される。(走塁妨害は走者が帰塁するときにも適用される)
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競技者必携
7.審判員の動作
 左手を握って横に出し、“ディレードデッドボール”とコールし、右手で妨害した野手を指さし、“オブストラクション”とコールする。
 プレイが一段落したのち“タイム”のコールとゼスチュアをし、適切な処置をとる。
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走塁妨害適用で二塁走者を妨害がなければ行けた三塁への安全進塁とした
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B.ツーアウト、走者二塁。打者3B-2Sフルカウントで空振り投球が打者の体に当たりバックネットに転がった
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7−6項  打者がアウトになる場合
  1.打者が空振りして第3ストライクになった球が、打者の身体の一部に触れたとき
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〈効果〉 1
 ボールデッド。
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手先がかじかむのでミスが続くのも仕方ないかな。
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朝、固かったグラウンドも溶けてきてグチャグチャの土になってきた。
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5年前の1月の練習試合に半袖で審判したら選手に笑われた(;´∀`)
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2012/1/23

ハイタッチ  猫の「こいさご」

ハイタッチする猫  
 それが これだ1・2・3
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2012/1/16

開拓地の千振  

千振から見た那須連山
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NHKBSの「開拓者たち」感動の連続。

黒磯の藤田病院も出ていましたね。
吉崎団長も実名実在の方でした。
http://blog.goo.ne.jp/05a21/e/295693bc5e01df6de10b45ba872a1d72
満島ひかり演じる阿部ハツのモデルの方も証言者として、登場されていました。

「那須千振開拓団の60年」より

2006年08月16日 22時51分55秒 / シベリア抑留
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060816-00000076-mailo-l09より、
戦後を刻む:那須千振開拓団の60年/上 託された願い /栃木

 ◇「衝撃の手記」寄稿決意−−那須町・中込敏郎さん(79)
 居残った女性たちの集団自決、避難途中で行き倒れた子供たち――。旧満州引き揚げ者、中込敏郎さん(79)=那須町豊原丙=は、すでに亡くなった同じ引き揚げ者の女性からある願いを託されていた。旧満州国(現中国北東部)千振開拓団長の妻、故吉崎順子さん(享年89歳)が太平洋戦争末期、1945年8月9日の旧ソ連参戦から、日本に引き揚げるまでの体験をまとめた、手記の公表だ。
 ソ連参戦直後、当時32歳の順子さんは、約1000人の開拓団員家族の避難を指揮する立場にあった。団長の夫千秋さんを含む18〜45歳の男性は「根こそぎ動員」によってソ連戦線に召集されていた。手記は86年6月、「時期を見て明らかにしてほしい」と、当時、那須町千振地区開拓農協の組合長だった中込さん宅に郵送された。原稿用紙20枚に、避難の様子が克明に記されていた。
 順子さんは01年に亡くなった。葬儀で中込さんは「いつか必ず明らかにする」と宣言し、今年、発行される開拓60周年記念誌への寄稿を決意した。
 手記は、順子さんたちが情報も時間も少ない中、必死に避難を呼び掛けた様子を浮かび上がらせる。
 千振に残ることを主張する人たちが避難を阻んだこと。「この汽車を最後に鉄橋を破壊する」と言われた時の衝撃。避難列車に乗り遅れた人たちが、悲鳴を上げながら順子さんたちが乗る列車を必死に追いかける姿。避難列車に乗れなかった人たちは、ソ連兵や中国人の襲撃に遭い、集団自決したり、暴行された。千振開拓団は引き揚げまでに、1000人以上を失った。子供が多かった。
 《敗戦後40年、今日なお一層頭に強く心に深く重い傷として全身を疼(うず)かせる》
 《きちんとした責任者がいれば、こんな悲劇は起こらなかった》
 文面に、順子さんの悔しさがにじむ。
 中込さんは手記を手に静かに言った。「奇跡的に生き残った人たちも、こうやって自分を責め続けた。戦争は本当に悲惨。どんな形でもするべきでないよ」
   ◇   ◇
 戦後61年。那須町千振地区の引き揚げ者とその2世は、入植60周年になる今年、記念誌編さんに取り組む。その思いを追った。
 ■ことば
 ◇千振開拓団
 食糧増産のために1933年、東北地方など14県から選抜された485人が旧満州国千振に入植。12年後の敗戦時、入植者は家族など約1700人に達した。敗戦から1年に及ぶ避難生活で1000人以上が命を落としたが、日本に引き揚げ後、うち約80人が国が用意した那須町の原野に再入植した。引き揚げ者たちは地区を同じ「千振」と名付け、現在も計68戸が酪農などをして暮らす。

8月16日朝刊
(毎日新聞) - 8月16日12時1分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060817-00000085-mailo-l09より、
戦後を刻む:那須千振開拓団の60年/中 苦難の逃亡生活 /栃木

 ◇家族一緒が本当の幸せ−−那須町・永井とくさん(89)
 「今、テレビでイスラエルがレバノンに侵攻したってやっているね、本当に嫌だ。戦争だけはやってもらいたくない」
 7月上旬、旧満州引き揚げ者の永井とくさん(89)=那須町豊原丙=が静かに語るのを、大学職員ら記念誌編集委員のメンバー3人がテープレコーダーに録音した。
 1945年8月9日、参戦した旧ソ連軍は旧満州(現中国東北部)に侵攻した。知るのが遅かった永井さんは、汽車で避難できなかった。二女(3)と三女(2)を背負いながら、銃を片手に避難民の列に加わった。
 度重なるソ連軍の空襲の中、草原を死にもの狂いで逃げた。昼夜問わず、現地の中国人が槍(やり)や鎌(かま)を振り回して襲撃してきた。子供たちの多くは置き去りにされ、あるいは飢え、栄養失調で次々と死んでいった。励まし合った仲間たちも、「どうせ逃げられない」と川に入水、心中した。
 逃亡から1カ月、永井さんの娘2人も栄養失調で死んだ。骨と皮だけになった遺体に話しかけた。「水だけでよく頑張ったね。お母さんも、もうすぐ行くからね」。野犬に食べられるよりはいいと、近くの川で水葬した。
 徒歩で3カ月かけて首都・新京(現長春市)に到着。8カ月の難民生活の末、46年7月に永井さんは一人で日本に引き揚げてきた。故郷、宮城県登米町(現登米市)で、夫の親族から娘について聞かれても「中国人に預けてきた」と答えた。本当のことは言えなかった。夫はソ連戦線に動員され、シベリア抑留中に死んだと知った。
 「軍人の奥さんたちは、45年5月ごろには帰国していた。私たち開拓農民には何も知らされず、数え切れない子供たちが死んでいった。国に捨てられたんだ」。永井さんは言った。
 聞き取りをした編集委員の1人、菅原いく子さん(56)は、やはり満州引き揚げ者だった自身の両親から、きちんと話を聞いておけばよかった、と悔いていた。しかし今は、「永井さんの話を聞くことで、両親の苦労をより深く知ることができた」と話す。
 永井さんは故郷に引き揚げてから約4カ月後、千振に入植した。7人姉弟の中、満州開拓を支える「大陸の花嫁」として町を挙げて送り出された身であり、実家に居場所はなかった。開拓団の故吉崎千秋団長に誘われ、即座に千振移住を決めた。助産婦の仕事をしながら開墾した。同じく満州で妻と子供2人を失った幸作さん(96)と結婚もした。現在は、長男夫婦と孫の計5人で暮らす。
 「60年はあっという間。助産婦の仕事も充実していた。貧しくとも家族一緒が楽しい。今は本当に幸せ」。永井さんは笑顔を見せた。

8月17日朝刊
(毎日新聞) - 8月17日12時2分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060818-00000122-mailo-l09より、
戦後を刻む:那須千振開拓団の60年/下 優遇された捕虜 /栃木

 ◇矛盾と悲惨さを後世に−−那須町・玉田貞喜さん(79)
 「同志諸君!より良い民主主義者になり、米国の帝国主義を打倒しよう」。鉄条網で囲まれた旧ソ連・ハバロフスクの戦犯収容所で毎朝、約1000人の日本人捕虜を前に、20歳の若者の大声が響き渡った。
 玉田貞喜さん(79)=那須町豊原丙=は記念誌編さん作業の中で、自身が抑留中、ソ連政府から「労働の英雄」として表彰され、模範的捕虜として優遇されていた過去を初めて明らかにした。
 玉田さんはこれまで、「生き延びるためとはいえ、酷使されて死んだ仲間に申し訳ない」と、語らずにきた。しかし、那須町に入植して60年の歳月がたった。「苦い思い出だが、戦争の矛盾と悲惨さを後世に伝えたい」。初めて筆をとった。
 1945年8月、攻め込んできたソ連軍と交戦。凄惨(せいさん)だった。シベリアに抑留されると、仲間の密告で動員前にスパイ教育を受けていたことがばれ、ハバロフスクの戦犯収容所に送られた。待っていたのは高層住宅建設現場での重労働だったが、土質調査の作業を効率化し、表彰された。
 捕虜代表としてソ連側との交渉にあたる役職にも抜てきされ、マルクス経済学も学んだ。捕虜に共産主義思想をたたき込む「民主グループ委員会」の書記として働き、強制労働から解放された。ロシア人の家で、豪華な食事で歓待された。
 50年に帰国。学んだ思想が日本にはそぐわないと痛感した。ソ連での活動を知る人たちの目を逃れ、故郷の熊本県栖本町(現天草市)から那須入植を決意した。
 木の根だらけの荒れ地を3年かけて開墾し、63年からは酪農で成功した。現在は妻喜代美さん(73)とリンゴやブルーベリーの果樹を栽培している。盆に訪ねてくる孫に会うのが、何よりの楽しみだという。しかし、話が戦争に及ぶと、「自分だけ帰ってきてしまって、本当に申し訳ない……」。玉田さんは何度も何度も繰り返した。
  ◇  ◇  ◇
 記念誌の編さんと同時に那須町千振地区では、昨年9月2日に天皇皇后両陛下が千振を訪れた際に詠んだ歌「たうもろこしの 畑続ける 那須山麓 かの日を耐へし 開拓者訪(と)ふ」の歌碑の建設計画が進む。文字は、同じ旧満州引き揚げ者の中込敏郎さん(79)=那須町豊原丙=が書き入れることになった。「かの日という言葉に、満州と内地に帰ってからの我々の苦労が凝縮されているように思う。後世の人たちが戦争を判断する材料になるように、できるだけ多くのことを残したい」。中込さんはそう話した。(この企画は田後真里が担当しました)

8月18日朝刊
(毎日新聞) - 8月18日13時1分更新
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2012/1/16

ハイタッチ  猫の「こいさご」

お手をしてごちそうを食べるこいさごは・・・
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もしかして、ハイタッチができるかも・・・
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出来た!!
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2012/1/14

頑張れ福島  ソフトボール中学

寒風の中、元気のいい練習試合(監督同士か元気のいいのは・・・)
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@バッターがスラップで走り込んで投球に当たった。

8−1項5.(注2) 打者が明らかに投球を避けようとしなかったとき、または打者席の線外に片足の一部が出ていたときは、審判員の判断により、“ボール”か“ストライク”が宣告される。
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Aノーアウト、走者なし。打者が片足を完全にバッターボックスから出て投球を当て、ファウル地域に打球が転がった
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6−4項5.打者が片足でも完全に打者席の外に踏み出したり、本塁に触れたりして打ったとき
(注1) 打者席の線は打者席に含まれる。
〈効果〉 4〜8
 (1) ボールデッド。
 (2) 打者アウト。(走者は進塁できない)
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Bノーアウト、走者なし。ライト線にフェア地域に打球が落下し、競技場外線手前で右翼手が球を拾い、球を持ったまま片足が場外線に出てしまった。
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(投手#27はNHKBSプレミアム日曜午後10時「開拓者たち」ハンカチなしでは見られない・・で那須町千振が舞台・・証言者で満島ひかりにインタビューを受けていた前千振開拓組合長の孫)
8−4項11.野手がボールインプレイの球を持ったまま、無意識に競技場外に出たとき
〈効果〉 11
 (1)ボールデッド
 (2) 各走者に野手が競技場外に出たときに達していた塁から、さらに1個の安全進塁権が与えられる。
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Cツーアウト満塁。レフトへの飛球を左翼手がグラブに当て、打球は競技場外に出た
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8−4項10.フェアボールが地面に触れて、バウンドしたり、転がったりして、競技場外にでたとき
〈効果〉 10
 (1) ボールデッド。
 (2) 各走者に投球時に占めていた塁から2個の安全進塁権が与えられる。
ケースブック8078 【8−4項10 走者に安全進塁権が与えられる場合】 走者一塁。打球がライトのフェア地域に落ち、その後ファウル地域に転がった。右翼手がこの打球の処理を誤り、グラブに当てて球を場外に出してしまった。次の場合、どう処置したらよいか。
(1)打球がグラブに触れたとき、一塁走者は二塁を回っていたが打者走者はまだ一塁に達していなかった。
(2)打球が場外に出たとき、一塁走者は二塁を回っており打者走者も一塁を回っていた。
------------------------------------------------
打球がグラブに触れたかどうかに関係なく、(1)(2)共、一塁走者は三塁へ、打者走者は二塁へ進める。(投球時の占有塁を基準とする
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ボールデッド、エンタイトルツーベース。二・三塁走者のホームインを認め、ツーアウト走者二・三塁で再開。
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Dツーアウト走者なし。打球が左中間オーバー。打者走者が三塁を回るとき三塁手と接触しそうになり、ホームベースでクロスプレイ。タッチがわずかに早い
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   (こいさごのお手)
8−4項2.野手が走者の走塁を妨害したとき
   次の場合は走塁妨害を適用する
   (1) 野手が球を持っていないとき
   (2) 野手が打球の処理をしようとしていないとき。
   (3) 野手が空タッチをしたとき。
〈効果〉 2
 走塁妨害が発生したとき(ランダウンプレイを含む)は、
 (1) ディレードデッドボール。
 (2) 走塁を妨害された走者および他の走者は、審判員の判断に走塁妨害がなければ達していたと思われる塁までの安全進塁権が与えられる
(注1) 走塁妨害は野手が走者に触れなくても走者の走塁に影響を与えたかどうかを審判員が判断する
(注2) 走者が塁に達しようとしているとき、野手は塁の前縁の一部を空けなければならない。
 野手がこれに違反したため、走者が塁に触れることができなかったときは、走塁妨害が適用される。(走塁妨害は走者が帰塁するときにも適用される)
(注3) 走塁を妨害された走者は、その塁間ではアウトになることはない。この走者は次の塁に進むか、触塁した塁に戻らなければならない。ただし、走塁妨害ののちに、引き続き守備妨害が発生したときは、守備妨害を優先する。
(注4) 走者を妨害された走者は、審判員の判断により、妨害がなければ達していたと思われる塁より先に進んで触球されたときは、アウトになる。
(注5) 「空タッチ」も走塁妨害であり、審判員の判断により退場になる場合もある。
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ディレードデッドボール。オブストラクション(走塁妨害)。打者走者のホームインを認める。
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頑張れ福島ソフトボーラー!!
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2012/1/12

とちぎテレビ放映のお知らせ  お店

とちぎテレビ放映のお知らせ
(またまたローカルでごめんねごめんね)
「とちぎ発!旅好き!」
平成24年1月12日(木)19:30〜20:00

那須を愛する元気人たち
... 〜那須町〜
ナレーション:山根大嗣
ゲストはフードコーディネーターの越石直子さん
https://www.facebook.com/profile.php?id=100000472971173
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○番組名 とちぎテレビ 「とちぎ発!旅好き!」
     タイトル:那須を愛する元気人たち

○放送日 1月12日(木)19時30分〜20時00分
 再放送 1月14日(土) 9時00分〜9時30分

○他局放送日時(予定)
... MXTV(東京MXテレビ) 1月15日(日) 9:30〜10:00
TVS(テレ玉)      1月21日(土)13:00〜13:30
SUN(サンテレビ・兵庫) 1月21日(土)18:30〜19:00
KBS(KBS京都)    1月22日(日) 7:30〜8:00
GTV(群馬テレビ)    1月23日(月)22:00〜22:30
CTV(チバテレビ)    1月28日(土)13:00〜13:30

那須のオススメのお店やペンションが放送されます!
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2012/1/3

こいさご  猫の「こいさご」

朝、こいさごに顔を舐められて起こされた。
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そして、朝寝・・・
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2012/1/3

タイムプレイによる得点  全日本小学生ソフトボール大会

漫画「ドカベン」での出来事
主人公達の明訓高校と好投手・不知火守を擁する白新高校との夏の甲子園の神奈川県予選大会三回戦で描かれた。

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得点は0-0のまま延長戦に突入。10回表、明訓の攻撃。一死満塁で打者は微笑三太郎。

1.微笑はスクイズプレイを試みるが、投手前に小フライとなってしまう。白新の投手・不知火がこれを飛びついて捕球、微笑がアウト(二死)。
2.三塁走者・岩鬼正美はスタートを切っており、リタッチしないまま本塁に滑り込む
3.一塁走者の山田太郎も離塁していたので、不知火は迷わず一塁へ送球。一塁手が一塁に触球し、山田がアウト(三死)。ダブルプレイが成立。
4.第3アウトが宣告されたので、白新ナインは全員ベンチへと引き上げた。
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この時、第3アウトはフォースプレイによるものではないため、第3アウト成立以前に成立した得点は有効である。岩鬼は第3アウト成立前に本塁に到達しているので、この走塁による得点は認められる(作中ではこのあたりのルールについてあまり明示的な説明がない)。

ところが、岩鬼は三塁へのリタッチを行っていなかったため、白新側は第3アウト成立後であっても審判員に対して彼の離塁が早かったことをアピールし、岩鬼を三塁でアウト(第4アウト)にすることで、第3アウトを置き換えて彼の得点を無効にすることができた。しかし、得点が認められることに気付かなかった白新はこれを行わず、更に野手全員がファウルラインを越えてベンチへ引き上げてしまったことでアピール権も喪失してしまった。
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結果として岩鬼の得点は認められ、明訓に1点が入った。記録は微笑の投手フライと山田の一塁アウト(併殺)の間に岩鬼が本塁に生還したという扱いで、微笑に犠打は記録されない。

なお、試合はこの1点を守った明訓が1-0で勝利した。
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履正社 対 九州学院 2011年3月30日に行われた第83回選抜高等学校野球大会の第8日、履正社対九州学院で、得点5−1で履正社リードで迎えた6回表の九州学院の攻撃。一死満塁で、ライナー性の打球を左翼手が捕球した(第2アウト)。三塁走者はタッグアップを行ったが二塁走者は大きく飛び出しており帰塁をあきらめた。二塁走者があきらめたのを見た左翼手は送球せずに自ら走って二塁を踏んだ(第3アウト)。三塁走者はこの時すでに本塁に到達していたので、これが得点と認められた。しかし、守備側の履正社の選手は状況が分からず混乱し、その後、審判員に三塁走者のタッグアップが早かったと訴えたが、既に投手と内野手が全員ファウルラインを超えてしまった後だったのでアピール権は消滅しており、アピールそのものが認められなかった。
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仮にアピール権が消滅していなかった場合、三塁走者が左翼手の捕球後に「正規にタッグアップしたかどうか」が規則適用の上で重要な点である。もし三塁走者のタッグアップが正規のものでなかった場合は、三塁走者にアウトが宣告され、得点を取り消すことができた。また、本件では左翼手が自ら二塁を踏みに走っているが、三塁走者の本塁到達以前に二塁に触球できていれば、先に第3アウトが成立したことにより、三塁走者のタッグアップが正規のものであるか否かを問わず、得点が記録されなかった。

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2012年、済々黌高校 対 鳴門高校

2012年8月13日に行われた第94回全国高等学校野球選手権大会の第6日、済々黌高校(熊本県)対鳴門高校(徳島県)戦で発生した。

7回裏、済々黌の攻撃。一死一・三塁で、ライナー性の打球を遊撃手がジャンプして好捕(第2アウト)した。一塁走者はヒットエンドラン、三塁走者はギャンブルスタートによって大きく飛び出しており、一塁走者は帰塁をあきらめた。遊撃手は一塁へゆっくりと山なりの送球を行って、一塁走者をアウトにした(第3アウト)。しかしその第3アウトの直前、三塁走者がリタッチせずにそのまま本塁に到達していた。守備側の鳴門高校の選手は三塁走者の本塁到達に気付かず、アピールをすることなく投手と内野手全員がファウルラインを越えてしまったため、アピール権が消失した。それを確認した審判団は三塁走者の得点を認めた。

済々黌は同じ試合の5回裏の攻撃にも一死一・三塁の状況で同様の作戦を行い、結果遊撃手へのライナーとなった(第2アウト)。遊撃手は一塁に送球し一塁走者をアウトにした(第3アウト)。この時も三塁走者は本塁へ走っており、済々黌主将が球審に三塁走者の生還をアピールを行ったが、この場合は本塁生還よりも第3アウトの方が先として退けている。

なお済々黌の三塁走者は小学生時代、先述したドカベンにおけるエピソードを読んでおり、得点成立を狙っていたことを試合後に明かしている。また、鳴門の捕手もルールは把握していたが、打球の方向に集中していたため三塁ランナーが第3アウトよりも先にホームインしたことを把握できず、審判へアピール出来なかったと語っている。


オフィシャルソフトボールルール5−7項  得点
1.得点になる場合
  走者が、その回の第3アウトになる前に、一塁・二塁・三塁・本塁に正しく触れた場合に1点が記録される。
2.得点にならない場合
 (1) 打者走者が、一塁に触れる前に第3アウトになったとき。
 (2) 走者のフォースアウトが第3アウトのとき。(アピールアウトを含む)
 (3) 先行する走者がその回の第3アウトになったとき。
 (4) 走者が離塁違反でその回の第3アウトになったとき。
 (5) 第3アウトがアピールによって有利な第4アウトと置き換えられたとき

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1-2項 アピールプレイ APPEAL PLAY

 アピールプレイ APPEAL PLAYとは、審判員が守備側の監督・コーチ・プレイヤーに要求されるまで判定をすることができないプレイで、正しい投球、不正投球にかかわらず次の打者に対して投球動作に入る前になされなければならない。また、イニングの終了のときは守備者全員が内野地域を離れるか、審判員が試合終了の宣告をする前にしなければならないプレイをいう。
【例外】無宣告交代、再出場違反、DP違反、代替プレイヤー違反のアピール権は、該当プレイヤーが交代するまで継続され、消滅することはない。

 アピールプレイは次の8つの場合である。
  (1) 走者が塁を空過したとき。
  (2) 飛球に対して走者の離塁が早過ぎたとき。
  (3) 打順誤りがあったとき。
  (4) 打者走者が一塁通過後に二塁へ向かおうとしたとき。
  (5) 無宣告交代したとき。
  (6) 代替プレイヤー違反があったとき。
  (7) 不正再出場したとき。
  (8) DP違反があったとき。

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ケースブック5016 【5−7項1得点】 一死二・三塁。打者がレフトフライを打った。三塁走者はタッチアップして本塁に達したが、二塁走者は安打になると判断して左翼手の捕球前に三塁ヘスタートを切っており、二塁に帰塁する前に左翼手からの送球でアウトになった。このときの得点は認められるか。
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二塁でのアピールアウトより三塁走者の本塁到達が早ければ得点は認められる。このケースのように、本塁に触れた時点と二塁走者がアウトになった時点の、どちらが早いかによって得点の有無が決まるようなケースを「タイムプレイ」という。(タッチアップの早過ぎは「アピールプレイ」の一つであり、「タイムプレイ」である)
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ケースブック5020 【5−7項2 得点】 二死満塁。右中間への長打により満塁の走者はすべて本塁に達したが、その後、打者走者は三塁でアウトになった。
(1)一塁走者が二塁を空過し、アピールされた場合。
(2)二塁走者が本塁を空過し、アピールされた場合。
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(1)第3アウトと置き換えられ、一塁走者のアウトは二塁でのフォースアウトだから得点はすべて認められない。
(2)打者走者の三塁でのアウト(第3アウト)と置き換えられ、三塁走者の得点は認められるが、それ以外の走者の得点は認められない。

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2012/1/2

【止まったタクト〜「1万人の第九」で起きた、前代未聞の“奇跡”】  大震災

【止まったタクト〜「1万人の第九」で起きた、前代未聞の“奇跡”】
.作成: 榛葉 健 日時: 2011年12月22日 1:46.  

2011年12月4日(日)、大阪城ホールで開かれた「1万人の第九」。  

それは例年とは明らかに違う、心が震える濃密な3時間でした。  

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冒頭、宮城県南三陸町の防災庁舎の廃墟が場内のスクリーンに映し出されます。

生中継の映像。

冬場の三陸地方特有の強風が激しくマイクを叩き、

ボコボコした音が生々しさを感じさせます。  

  

そしてその廃墟の前から、自身も被災した福島の詩人・和合亮一さんが、

「高台へ」と題した自作の詩を朗読しました。

バックでは、佐渡さんが教えるスーパーキッズオーケストラの弦楽メンバーが、

「G線上のアリア」をゆっくりと奏でます。  

  

和合さんは、津波が来ることを知りながら最後まで避難を呼びかけて還らぬ人となった、  

若い女性職員の死を悼み、激しい調子で

「生きていてほしかった!」と叫び声を上げると、

1万人の場内は緊張に包まれ、すすり泣く声が漏れ聞こえました。  

  

  

次に登場した、2年連続参加の平原綾香さんが、  

「ひまわり」「ジュピター」など3曲を披露。  

「日本のディーバ(歌姫)」と呼ばれる平原さんの音域の広い歌声が、ホール中を包み、  

慈しみの心や人間愛が、歌詞から伝わってきます。  

そして、これまで被災者の支援活動を積極的にしてきた平原さんが、  

曲の合間に体験談を語り、皆が聞き入ります。  

  

「被災地に行った時、ある学校のブラスバンド部の子に言われたんです。

『自分は両親を亡くしたけれど、音楽があったから、ここまで来れました』って。

それを聞いて、私も、歌に心を込めなければ、と思いました…」



同じく、被災地で支援コンサートをしてきた佐渡さんも、語ります。



「釜石に支援コンサートに行った時、地元のオーケストラが迎えてくれたんです。

 3分の1の人が、楽器を流されて何も持っていなかった。

それでも会場に集まって、

“手拍子”で『上を向いて歩こう』の演奏に参加してくれたんです。

何も持ってなかったのに、一緒に“演奏”してくれたんですよ…」



そう言った後、佐渡さんは言葉に詰まりました。



泣いていました。



「もう、ボクは泣き虫なんですよ。すいません…」



音楽が結び合う、人の輪を、会場の誰もが感じているように見えました。

平原さんの「ジュピター(原曲はホルスト作曲「惑星」“木星”より)」は、

第1部の最後で、1万人がコーラスをつけるという演出。

普段以上のスケールで歌い上げられました。





    

休憩をはさんで、第2部の「第九」に。



耳の聞こえなくなったベートーベンがこの曲に込めた、

「すべての人間が“ひとつ”になる」という願い。



それを、2011年の現実と重ね合わせて、全身全霊を込めて表現する佐渡さん。



第1部で、佐渡さんは話していました。

「同じ第九の音符でも、今年は違うように見えるんです」。





そして終盤の有名な「歓喜の歌」の大コーラスが始まる直前、異変が起きました。

  

佐渡さんが、身をかがめて動かなくなったのです…。



巨大なスクリーンに映っていた佐渡さんの表情。

それは、演奏中に、手を合わせて、祈る姿でした。

  

震える両手。何かをつぶやいている口元。

目は閉じ、神頼みをしているような所作。

タクト(指揮棒)は、佐渡さんの両手に挟まれて、動きません。



指揮者が指揮をしない…。



5秒、6秒、7秒…。まだ動かない。

この前代未聞の出来事に、それでも演奏は続きます。

クラシックの演奏会ではありえない、ざわめきがホールを覆いました。



それは驚きであると同時に、誰もが佐渡さんに導かれるように、

祈りを捧げた時間でもありました。



演奏はそのまま、“世界最大”の第九の合唱へ。

大阪城ホールの1万人と、中継で結んだ仙台会場の1000人の歌声が響きわたり、

演奏は終幕を迎えます。



「ブラボーーーーーーーー!!!」

ホールのあちこちから絶叫が聞こえます。

拍手は鳴り止みません。多くの人が泣いています。

被災3県から集まった仙台の参加者も感極まっています。

佐渡さんや平原さんたちは、3度のカーテンコールに応えました。

  

(写真はいずれも過去の「1万人の第九」から) 

  

佐渡さんの言葉です。  

  

「震災を前に、音楽が無力であることを思い知らされました。

音楽には、人のいのちを直接救う力は無いけれど、

それでも何かをしなくては、と思っていました」



もちろん、大阪城ホールを埋め尽くした1万人、そして仙台会場の1000人(中には、被災地から来て頂いた被災者の方も多数参加)が泣けば、何かがすぐに解決するわけではありません。

ただ、参加し、共感し、大粒の涙を流したそれぞれの人が、

この日を出発点に、何か具体的な行動をしていく第一歩にしていければ、

今年、「1万人の第九」を被災地と結びながら開催した意味はあったと思うのです。  

  

2011年の「1万人の第九」。

それは、たった一度きりの、奇跡の演奏会でした。

 

「音楽が、なぜこの世に存在するのか?」  

    

その根源的な問いへの答が垣間見えたような、

誰もが深く心に刻んだコンサートだったのです。  

  

2011年の日本で、芸術に果たせる役割があるとすれば、それは、

「人の心を突き動かし、

アクションを起こさせる動機を生み出すもの」

ではないかと、思います。

  

================================  

コンサートの放送は、12月23日(金)15時55分〜  

MBS−TBS系列の全国8局(MBS、TBS、HBC、IBC、TBC、TUF、CBC、RKB)で放送し、その後異なる時間に別の3局で放送されます。ぜひご自分の目で、和合さん、平原さん、佐渡さんたちの一挙一動と今年の「第九」を見届けて下さい!  

  (なお、このノートは、コンサートプロデューサーの承諾を得て、公表させて頂きました)  


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タグ: 3.11

2012/1/2

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