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2012/1/16

開拓地の千振  

千振から見た那須連山
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NHKBSの「開拓者たち」感動の連続。

黒磯の藤田病院も出ていましたね。
吉崎団長も実名実在の方でした。
http://blog.goo.ne.jp/05a21/e/295693bc5e01df6de10b45ba872a1d72
満島ひかり演じる阿部ハツのモデルの方も証言者として、登場されていました。

「那須千振開拓団の60年」より

2006年08月16日 22時51分55秒 / シベリア抑留
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060816-00000076-mailo-l09より、
戦後を刻む:那須千振開拓団の60年/上 託された願い /栃木

 ◇「衝撃の手記」寄稿決意−−那須町・中込敏郎さん(79)
 居残った女性たちの集団自決、避難途中で行き倒れた子供たち――。旧満州引き揚げ者、中込敏郎さん(79)=那須町豊原丙=は、すでに亡くなった同じ引き揚げ者の女性からある願いを託されていた。旧満州国(現中国北東部)千振開拓団長の妻、故吉崎順子さん(享年89歳)が太平洋戦争末期、1945年8月9日の旧ソ連参戦から、日本に引き揚げるまでの体験をまとめた、手記の公表だ。
 ソ連参戦直後、当時32歳の順子さんは、約1000人の開拓団員家族の避難を指揮する立場にあった。団長の夫千秋さんを含む18〜45歳の男性は「根こそぎ動員」によってソ連戦線に召集されていた。手記は86年6月、「時期を見て明らかにしてほしい」と、当時、那須町千振地区開拓農協の組合長だった中込さん宅に郵送された。原稿用紙20枚に、避難の様子が克明に記されていた。
 順子さんは01年に亡くなった。葬儀で中込さんは「いつか必ず明らかにする」と宣言し、今年、発行される開拓60周年記念誌への寄稿を決意した。
 手記は、順子さんたちが情報も時間も少ない中、必死に避難を呼び掛けた様子を浮かび上がらせる。
 千振に残ることを主張する人たちが避難を阻んだこと。「この汽車を最後に鉄橋を破壊する」と言われた時の衝撃。避難列車に乗り遅れた人たちが、悲鳴を上げながら順子さんたちが乗る列車を必死に追いかける姿。避難列車に乗れなかった人たちは、ソ連兵や中国人の襲撃に遭い、集団自決したり、暴行された。千振開拓団は引き揚げまでに、1000人以上を失った。子供が多かった。
 《敗戦後40年、今日なお一層頭に強く心に深く重い傷として全身を疼(うず)かせる》
 《きちんとした責任者がいれば、こんな悲劇は起こらなかった》
 文面に、順子さんの悔しさがにじむ。
 中込さんは手記を手に静かに言った。「奇跡的に生き残った人たちも、こうやって自分を責め続けた。戦争は本当に悲惨。どんな形でもするべきでないよ」
   ◇   ◇
 戦後61年。那須町千振地区の引き揚げ者とその2世は、入植60周年になる今年、記念誌編さんに取り組む。その思いを追った。
 ■ことば
 ◇千振開拓団
 食糧増産のために1933年、東北地方など14県から選抜された485人が旧満州国千振に入植。12年後の敗戦時、入植者は家族など約1700人に達した。敗戦から1年に及ぶ避難生活で1000人以上が命を落としたが、日本に引き揚げ後、うち約80人が国が用意した那須町の原野に再入植した。引き揚げ者たちは地区を同じ「千振」と名付け、現在も計68戸が酪農などをして暮らす。

8月16日朝刊
(毎日新聞) - 8月16日12時1分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060817-00000085-mailo-l09より、
戦後を刻む:那須千振開拓団の60年/中 苦難の逃亡生活 /栃木

 ◇家族一緒が本当の幸せ−−那須町・永井とくさん(89)
 「今、テレビでイスラエルがレバノンに侵攻したってやっているね、本当に嫌だ。戦争だけはやってもらいたくない」
 7月上旬、旧満州引き揚げ者の永井とくさん(89)=那須町豊原丙=が静かに語るのを、大学職員ら記念誌編集委員のメンバー3人がテープレコーダーに録音した。
 1945年8月9日、参戦した旧ソ連軍は旧満州(現中国東北部)に侵攻した。知るのが遅かった永井さんは、汽車で避難できなかった。二女(3)と三女(2)を背負いながら、銃を片手に避難民の列に加わった。
 度重なるソ連軍の空襲の中、草原を死にもの狂いで逃げた。昼夜問わず、現地の中国人が槍(やり)や鎌(かま)を振り回して襲撃してきた。子供たちの多くは置き去りにされ、あるいは飢え、栄養失調で次々と死んでいった。励まし合った仲間たちも、「どうせ逃げられない」と川に入水、心中した。
 逃亡から1カ月、永井さんの娘2人も栄養失調で死んだ。骨と皮だけになった遺体に話しかけた。「水だけでよく頑張ったね。お母さんも、もうすぐ行くからね」。野犬に食べられるよりはいいと、近くの川で水葬した。
 徒歩で3カ月かけて首都・新京(現長春市)に到着。8カ月の難民生活の末、46年7月に永井さんは一人で日本に引き揚げてきた。故郷、宮城県登米町(現登米市)で、夫の親族から娘について聞かれても「中国人に預けてきた」と答えた。本当のことは言えなかった。夫はソ連戦線に動員され、シベリア抑留中に死んだと知った。
 「軍人の奥さんたちは、45年5月ごろには帰国していた。私たち開拓農民には何も知らされず、数え切れない子供たちが死んでいった。国に捨てられたんだ」。永井さんは言った。
 聞き取りをした編集委員の1人、菅原いく子さん(56)は、やはり満州引き揚げ者だった自身の両親から、きちんと話を聞いておけばよかった、と悔いていた。しかし今は、「永井さんの話を聞くことで、両親の苦労をより深く知ることができた」と話す。
 永井さんは故郷に引き揚げてから約4カ月後、千振に入植した。7人姉弟の中、満州開拓を支える「大陸の花嫁」として町を挙げて送り出された身であり、実家に居場所はなかった。開拓団の故吉崎千秋団長に誘われ、即座に千振移住を決めた。助産婦の仕事をしながら開墾した。同じく満州で妻と子供2人を失った幸作さん(96)と結婚もした。現在は、長男夫婦と孫の計5人で暮らす。
 「60年はあっという間。助産婦の仕事も充実していた。貧しくとも家族一緒が楽しい。今は本当に幸せ」。永井さんは笑顔を見せた。

8月17日朝刊
(毎日新聞) - 8月17日12時2分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060818-00000122-mailo-l09より、
戦後を刻む:那須千振開拓団の60年/下 優遇された捕虜 /栃木

 ◇矛盾と悲惨さを後世に−−那須町・玉田貞喜さん(79)
 「同志諸君!より良い民主主義者になり、米国の帝国主義を打倒しよう」。鉄条網で囲まれた旧ソ連・ハバロフスクの戦犯収容所で毎朝、約1000人の日本人捕虜を前に、20歳の若者の大声が響き渡った。
 玉田貞喜さん(79)=那須町豊原丙=は記念誌編さん作業の中で、自身が抑留中、ソ連政府から「労働の英雄」として表彰され、模範的捕虜として優遇されていた過去を初めて明らかにした。
 玉田さんはこれまで、「生き延びるためとはいえ、酷使されて死んだ仲間に申し訳ない」と、語らずにきた。しかし、那須町に入植して60年の歳月がたった。「苦い思い出だが、戦争の矛盾と悲惨さを後世に伝えたい」。初めて筆をとった。
 1945年8月、攻め込んできたソ連軍と交戦。凄惨(せいさん)だった。シベリアに抑留されると、仲間の密告で動員前にスパイ教育を受けていたことがばれ、ハバロフスクの戦犯収容所に送られた。待っていたのは高層住宅建設現場での重労働だったが、土質調査の作業を効率化し、表彰された。
 捕虜代表としてソ連側との交渉にあたる役職にも抜てきされ、マルクス経済学も学んだ。捕虜に共産主義思想をたたき込む「民主グループ委員会」の書記として働き、強制労働から解放された。ロシア人の家で、豪華な食事で歓待された。
 50年に帰国。学んだ思想が日本にはそぐわないと痛感した。ソ連での活動を知る人たちの目を逃れ、故郷の熊本県栖本町(現天草市)から那須入植を決意した。
 木の根だらけの荒れ地を3年かけて開墾し、63年からは酪農で成功した。現在は妻喜代美さん(73)とリンゴやブルーベリーの果樹を栽培している。盆に訪ねてくる孫に会うのが、何よりの楽しみだという。しかし、話が戦争に及ぶと、「自分だけ帰ってきてしまって、本当に申し訳ない……」。玉田さんは何度も何度も繰り返した。
  ◇  ◇  ◇
 記念誌の編さんと同時に那須町千振地区では、昨年9月2日に天皇皇后両陛下が千振を訪れた際に詠んだ歌「たうもろこしの 畑続ける 那須山麓 かの日を耐へし 開拓者訪(と)ふ」の歌碑の建設計画が進む。文字は、同じ旧満州引き揚げ者の中込敏郎さん(79)=那須町豊原丙=が書き入れることになった。「かの日という言葉に、満州と内地に帰ってからの我々の苦労が凝縮されているように思う。後世の人たちが戦争を判断する材料になるように、できるだけ多くのことを残したい」。中込さんはそう話した。(この企画は田後真里が担当しました)

8月18日朝刊
(毎日新聞) - 8月18日13時1分更新
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2012/2/8  23:20

投稿者:だっぱら

もど子さん

おばんです。
生の声は、更に悲惨ですよね。

http://sports.ap.teacup.com/dapara/

2012/2/8  13:47

投稿者:おもしろかたりべ

結構前になっちゃうんだけんど、引き上げのおぢちゃん、おばちゃんから当時の話しを聞いだごどあります。衝撃の過去でしだよ。思い出しましだ。

http://kataribeomosiro.blog60.fc2.com/

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